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シリコンバレーで自分の山の道を固める [アダルトチルドレン]

本日から12日間、サンフランシスコ&シリコンバレーに行ってまいります。


20日からはシリコンバレーにて、女性起業家の養成所「Women’s Startup Lab(WSL)」という、4泊5日のスーパーハードそうな強化合宿プログラム?に参加させていただくことになっています。


アートをやっていて、当面は起業も考えていない私が、なぜ起業家プログラムに?と思われるかもしれませんが、私も正直なところどうなるのかわかっておりません。


でもきっと何か素晴らしいヒントが見つかるはず!!

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旅に出るときには、昔からコレ!


登るべき山に登る


この1、2年で、私は自殺衝動からは自由になりましたが、だからといって全てのマイナスの感情が消え去ったわけではありません。


確固たる揺るぎない自信がついたわけではないので、時々昔に染み付いた思考回路に振り回されて、ここではなくどこかに登るべき別の山があるのではないかという焦りと不安を感じ、先に目覚しい結果を出している人と比較しては落ち込んだりもしました。


でも、ようやく最近アダルトチルドレン(AC)克服の経験談を出していくことに決めてから、自分の人生で何をやるべきなのかを見つけることが出来たと感じるようになりました。自分が動くことで、誰かを勇気付けられる。これは、私がこれからも生き続けるための最大の理由になってくれます。


自分が登るべきでない山に憧れて、今いる場所を恥じてきた自分をもう終わりにしよう。自分が登ってきた道に誇りを持ってゆこう。今はそう思います。


しかし、アートとAC関連活動とどう結びつけていくのか。また、どう自分をプロデュースして、どう世の中に伝えていくのかは、まだ全く見えていません。


このプログラムでは、参加者の皆さんや、シリコンバレーのアドバイザーとの対話を通じて徹底的に自分の内面と向き合うことになるようなので、それを見つけてこようと思います。



見切り発車で、今できることを


ところで、今回このシリコンバレーのプログラムへお誘いいただいた、IT界の女帝、奥田浩美さんの著書『人生は見切り発車でうまくいく』には、大変助けられました。



人生は見切り発車でうまくいく

人生は見切り発車でうまくいく

  • 出版社/メーカー: 総合法令出版
  • 発売日: 2015/03/31
  • メディア: Kindle版



生き馬の目を抜くようなIT業界は、完全なものが出来あがるまで待っていたら、どんどん技術もタイミングも陳腐になる。だからとりあえず「見切り発車」で動いてみて、走りながら修正していこう。


この考えは、完璧を求めてがんじがらめになって動けなくなっていた自分を、「まだ完全ではないけれど、勇気を出して表現していってみよう」と解放してくれました。


帰国した週末には、こちらも女性向けのVR関係のイベントに登壇させていただくことになっています。VRはまだ始めて1年ほどですし、旦那がプレゼンのプロながら、私は人前で話すことは超がつくほど苦手です。


でもこんな「まだまだ」づくしな状態でも、きっと今のこの段階にいる自分だからこそ話せることがあるはず。必要以上に大きく見せることなく、色々なものに足を突っ込みかじってきた私の体験を素直にお伝えできればいいなと思っています。



でも、まずは、シリコンバレーです。いってきます!


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子供を持たない決断 [アダルトチルドレン]


今回は子供を持たない決断についてです。少子化なんだから健康な女なら産むべき!と、という風潮の強い昨今ですが、これはアダルトチルドレンには避けては通れない問題なので書いておこうと思います。健全に育たれた方には、こんなことを考えている人間もいると知っていただけたら嬉しく思います。


私はかなり以前から、子供を持たない決断をしています。そもそも、育った環境のせいかもともとの性格的なものか、母性というような感情が欠落していますし、幸せな子供時代を知らないので、自分と同じように育ててしまうことが目に見えるからです。のびのびと育っている子供をみて、「自分はああはしてもらえなかった」と嫉妬してしまうだろうことも恐ろしいのです。


ただ、一時期、「産んだら絶対可愛いと思えるようになるから、産みなよ。大丈夫だよ」と勧めてくれた方もいて、そういうものなのかと考えてみたこともありました。しかし、よくよく考えれば、全員がそうではなかったから、毎日のように虐待がニュースになり、私のような人間が少なからずいるわけです。また、そうして産んだところで、勧めた人が責任をとってくれるわけではありません。


犬や猫のような寿命が短い生き物ならば、自分には育てるのが向いていなかったとわかったとしても、その寿命の間はなんとか踏ん張れます。でも自分より長生きする人間の子供は、「産んで見たけれど、やっぱり可愛がれなかったので返品します」なんていうわけにはいきません。また、よいアートが作れるようになるから産んだ方がいい、と勧めてくる方もいましたが、アートのために子供を産むのもおかしな話です。


世代間連鎖の犠牲者


機能不全家庭で育った親は、その親の育て方しか知らないので、悪意がなくとも同じことを子供にしてしまい、そうしてアダルトチルドレンは世代間を連鎖してしまうと言われています。私の家庭も明らかにそうでした。母もその連鎖の犠牲者だったのだと、今はわかります。だから、この呪われた遺伝子を、この連鎖を、私の代で終わらなければと、私の子供に私がしてあげられる最善のことは、産まないことなのだと思うのです。


それでも、私は先日40になったのですが、実は最近まで、やっぱり産んでおいた方がよいのではという1%ほどの考えが心をチクチクと刺していました。しかしこの年齢になり、もうほとんど可能性が無くなり、その選択肢に悩む必要が無くなったことに、心底ほっとしています。 



もちろん、この世代間連鎖を、強い意思の力で断ち切り、立派に子供を育てている方もたくさんいます。その方々には、本当に賞賛の思いしかありません。しかし、それは私には難しいことだということがわかっています。


以前に犬を飼っていたとき、粗相を咎め、怒鳴ったり引っぱたいたりしてしまったことがありました。悪徳ブリーダーに長い間飼われてしつけを受けられずに育った彼女は、粗相をしてしまうのは仕方のないことだったのに、私は自分を止めることが出来ませんでした。壁際に縮こまってブルブル震えながらこちらを見上げるその怯えきった目は、そのまま小さい頃の私でした。私は、自分がされたことを、彼女にしてしまっていたのです。


私は、自分の考えを力で押し付けてくるようなヒステリックで感情的な人間が大変に苦手で、自分は常に理性的であろうと心掛けているのですが、心の余裕がなくなった途端にあっけないまでに理性が吹き飛んでしまうのです。


それは、心の奥底に棲んでいた鬼が飛び出して、人格を乗っ取ってしまうような感覚で、自分では制御出来ない最も自分が忌み嫌うタイプの魔物の存在に、私は何度も叩きのめされました。犬にすら感情がコントロールできない自分には、その何倍も何十倍も世話がかかるだろう子供を穏やかに育てるなんてとても無理な話なのだと、改めて確認させられた出来事でした。



同じ傷を持った人と結婚しがちなAC


そんな私ですが、今はキリストダンナと二人、忙しいながらも穏やかな日々を過ごしています。子供を産まないということは、結婚する前にキリストダンナに伝えていたのですが、子供を欲しがる男性が多い中、それを受け入れてくれた彼には本当に感謝しています。


実は、アダルトチルドレンは、「この人は私のことをわかってくれる」という気持ちから、同じ傷を持った人間と付き合ったり結婚する率が大変高いと言われています。しかしそこから導き出される結果は、両極端に分かれることが多いようです。一方は、お互いの傷を癒し合ってゆくパターン。もう一方は、共依存と言われる関係になり、相手の愛情や誠意を試して傷付けあうパターン。この先に待っているのは破滅です。私も20代の頃はそのような付き合い方しか出来ませんでした。


しかし、ダンナも同じような傷を持った人だったのですが、私たちはラッキーなことに前者のパターンでした。私が穴から出られたのも、彼との対話を通して自分自身を見つめられたことがとても大きかったと思えます。


実際に結婚当初は、人とそれまでまともに向き合ってきたことがなかった私は精神がとても不安定になり、暫くカウンセリングに通い続けました。しかし、間も無く結婚して10年になる最近では、心の傷がほとんど埋まったような手応えがあります。




私は、自分の子供とは、今生では縁がありませんでした。その意味では、私は少子化のこの世の中に貢献することができません。しかし、命は増やせなくとも、減らさないためには何かが出来るのかもしれません。自ら命を絶とうと考えている人に「とりあえず死なないで、もうちょっと生きてみるといいかもよ」と伝える活動をこれからも続けていこうと思っています。


タグ:子供
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不幸を張り合うことの不毛さ [アダルトチルドレン]


あなたの不幸は私ほどではない。だからあなたにはそれを言う権利がない。最近立て続けにそう言われました。

以前のブログで、傷の大小は関係なく、傷があるかないかだと書きましたが、それを今回はもう少し掘り下げようと思います。


世の中には、あんな軽い理由でと思われることで命を絶ってしまう人がいる一方で、大変な不幸の連続に遭いながらも生き続けている人がいます。

どちらの方が、より悲惨な境遇なのでしょう。結果的に死んでしまったから前者?明らかに大変な目にあったから後者?

これをジャッジをする資格は、誰にもありません。一つだけ言えるとしたら、両人にとって大変な人生だったというだけです。

時代も、境遇も、心の強度も、前提条件が全て違う中で、不幸の比較なんか出来るわけがありません。誰かの不幸に対抗するためには、より不幸にならなくてはいけませんが、このような競争は全くもってナンセンスです。お互いの傷の深さや大きさを競ったところで、何も生まれません。不毛なことです。

必要なのは、負傷者同士、手を取り合って安全な場所へ退避し、傷を癒し合うことです。

「あなたは酷い目にあったんだね、私も酷い目にあった。お互いよく生き延びたね」そう労い合うことに時間を使った方が、遥かに生産的です。人生の時間は限られています。

結果的に私は死にませんでしたが、死を選ぶか選ばないかは紙切れ一枚くらいの差だと思っています。私も心身が弱っていたらきっと決行していたでしょうが、私は幸か不幸か健康でした。



このように突っ込みどころを与えてしまったのは、私が何をされたのかを書いていないからでしょう。ただ、私が明らかにしたところで、たとえそれがどんなに酷かったとしても、冒頭のように「自分の方が」と考えている方には、きっと何を言っても無駄だとも思っています。


私のしたいことは、これまで何度も書いていますが、親がいかに私を傷つけたか糾弾することではありません。ただ、ここにサバイバーがいるという事実を伝え、十年前の私が知りたかった「絶望の穴からいつかきっと出られるよ」「出るためにこんなことをやってみたよ」と語ることです。

ヒーローになりたいのでも、被害者然として同情を集めたいのでもありません。単なる一事例の提示が、私の目的です。事故現場でも災害現場でも、そこに一人生存者がいるかいないかで、希望は大きく変わってきますから。



アダルトチルドレンとして傷だらけで生き延びてきた者たちにとって、この世の中を生きていくのは大変なことです。確固たる自己肯定感も自信もない脆く不完全な状態のままで、無理解、嘲笑、軽蔑など様々な弾丸が飛んでくる中を進まなければいけません。お互い傷を負った同士が、足を引っ張りあっている場合ではありません。手を取り合って進んでいかねば、生き延びてゆけません。



これからも冒頭のような声は飛んでくるでしょうし、もっと増えてくるかもしれません。また、「大人になったのに、子供時代のことにこだわっているのか」と苦々しく思っている人もいることでしょう。

しかし、アダルトチルドレンとして受けた傷は、正常な人格形成を阻害するため、克服しない限り一生付いて回ります。むしろ、大人になって社会と対峙せざるをえなくなったときに、これに起因する大きな問題が次々に湧いてきます。過去にこだわるのではなく、自分の未来のために、この問題に正面から向き合う必要があるのです。


以前の私のように、生存事例を知りたがっている人が少なからずいらっしゃると感じているので、そういう方に向けて、私はこれからも発信を続けていく所存です。


 



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原因となった母との関係性の変化 [アダルトチルドレン]


私がアダルトチルドレンとなる原因を作ったのは、母です。

しかし、日を追うごとに母は、私に対して気を遣ってくれるようになり、何かがズレてはいるけれど優しい「普通」の親になってきました。この正月に実家に寄って、それを再確認してきました。

この状態になりつつあったこの何年かまでは、肩透かしをくらったようでしばらく困惑していたのですが、今はありがたい幸運なこととして受け入れています。現在はこの関係性に満足し、昔の私の心境を理解してもらおうと期待をして無駄な波風を立てることも辞めたので、おしなべて平和な関係を維持しています。私は母を「赦せる」ようになったともいえます。


私が絶望の穴から出られた最も大きな原因の一つは、こうして親との関係が大きく変わったことなのは紛れもない事実ですので、今回は、以前の記事よりもう少し具体的に、一事例としてこれまでの経緯を書いておこうとおもいます。



(ちなみに、これまで母にされたことの詳細を書いていないため、最近「あなたの傷は大したことがない」とある人に断定されてしまいました。しかし私が長い間苦しんだのは事実ですし、以前書いたように、人と傷の深さを競い会うのは限りなく不毛なことだと思っています。この件については、また別の機会にもう少し突っ込んで書こうと思っています)



アマゾネスのような激しい気性の女系家族に育った母のキャラクターは、だいぶ変わっていると思います。また、距離感の取り方も何かおかしく、昔は、近くにいると境界線を踏み倒して徹底的に支配しようとする傾向がありました。しかし逆に距離があくと、驚くほどドライに興味の範囲外となるようなのです。


私は就職して間も無く、両親の反対を押し切って家を出ました。まずこれが、関係性変化の第一段階となりました。

しかし物理的に距離をとってひとときの心の平安を手に入れたものの、私自身もまだ母との心の距離をうまくとれず、時々攻撃を受けては深手を負っていました。まだ私にとっての母は、「怒らせると私を破壊する恐ろしい存在」でした。


そして29歳のときに、私は結婚をしました。これが2段階です。

実家から戸籍上も出たにも関わらず、母から見れば名前が変わって住むところが変わったぐらいの認識だったようで、私は相変わらず支配下に置かれていました。しかし、あるとき義実家に迷惑をかけてしまったこともあり、私は勇気を振り絞って母に手紙で思いを綴ることにしました。「自分は別の家庭に入った人間であること、母を排除する訳ではないが、別の人生を歩んでいることをわかってほしい」、と。


こう書いたものの、これまでがこれまでだけに、わかってもらえるとは正直露ほど期待していませんでした。逆に「何を言っているの!」と反撃されることを、私は極度に恐れていました。しかし、今回ばかりは違ったのです。


これ以降、母は人が変わったように私を尊重してくれるようになりました。また、それまでは私の都合などおかまいなしに大量に架かってきていた電話もパタリと止み、架けてきた時には「今大丈夫?」と必ず確認をしてくれるようになりました。さらに、色々なことを気にかけて、サポートもしてくれるようになりました。


そしてこの頃から、私は拒否権を行使することができるようになり、母はもはや私にとって恐ろしい存在ではなくなりました。

この二つの段階を踏んで、私は母の支配下から抜け、対等の地位を獲得したと考えているのですが、正直なところ、何が母に作用したのかはわかりません。ただ、20年ほどかけて関係性は完全に望ましい方へ変化したのは確かです。



ただ時々、この状態に私は困惑します。現在の母をみていると、私が自殺を考えるほどに受けた悲惨な日々は、知人に言われたように、私の勘違いだったのではないかと。そうすると、この遠回りした20年を私は無駄に大騒ぎして過ごしてしまったのではないかと、絶望的な気持ちにもなります。


しかし、冷静に過去の記憶を辿ると、決してそうではありませんでした。母の人間性と関係性が大きく変わっただけで、実際には確かにありました。忘却の力は、トラウマを癒してくれる有難いものですが、錯覚も起こしてくれます。


こう堂々巡りをしないためにも、もしかしたらあのまま憎む対象で居続けてくれた方が、いっそのこと気が楽だったのにと思ったりもしますが、本来こうして親子関係が改善するのは歓迎すべきことです。なので最近は、昔の母とは別の人間なのだと思うことにしています。今の母には憎しみはありませんし、むしろ愛情を感じています。



最近、ある披露宴に出たのですが、最後の新婦の「母への手紙」のコーナーで、驚くとともにその勇気に敬服したという出来事がありました。新婦は、その明るくポジティブな人柄で皆から愛されている人だったのですが、両親の事情によって人生を翻弄され大変な苦労をしてきていました。私は「自分が彼女だったら親に感謝の念なんて述べられないなあ」とぼんやり考えていたのですが、彼女は、


あなたたちから生まれきてよかったとは、思っていません。でも、お母さんが大好きです。」と。


この衝撃的な一言で会場はどよめきました。しかし、彼女の母親に対する、矛盾を乗り越えた迷いのないこの言葉に、私は「こういう受け止め方も出来るんだ」と衝撃を受けました。



昔の、憎しみにまみれ地獄のど真ん中にいた私だったら、こんな風に親を赦せる日が来るなんて想像も出来ませんでした。親との関係に苦しんでいる方、苦しんでいた方に、今回の投稿が何かの参考になったらいいなと思っています。


 



タグ: 関係性
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祝2018年!そして麻雀訓 [アダルトチルドレン]


あけましておめでとうございます。


大晦日には「新しい一年は、あんなことこんなことが簡単に出来てしまう気がする!」と万能感に包まれていた私ですが、明けてみると、新鮮ながらも同じ日々が続いていて、やはり気合いを入れて頑張ってゆかねばと己を奮い立たせている私です。




毎年正月は、キリストダンナの実家での麻雀大会から始まります。義両親、義兄夫婦、そして私たち夫婦でメンバー交代しながら二日間の真剣勝負。気のおけない愉快な義家族ですが、この勝負中は大笑いしながらも、お互い容赦なく叩きのめします。極度の負けず嫌いな私も、もちろんこの勝負に一切遠慮はしません。

ドンジャラで遊んでいたことがあるので、麻雀の最低限のルールは知ってはいたものの、本格的に覚えたのは結婚してから。そこそこ強いと自負している私ですが、一年にこの時期しか麻雀をやらないので、全ての役も点数の計算方法もなかなか覚えられません。


それでも覚えれば覚えるほど、運と実力のバランスなど、「うーん人生訓なり」と思えることが増えてきました。


・はじめの条件が悲惨でも、ぽんぽんとうまくいって勝ってしまうことがあること。逆にはじめが良くても、それ以上伸びないことがあること

・全くダメだと思っていても、よく見て組み合わせを変えたらとてもよい状態だったということ(私の不注意も要因ですが)

・自分の中でだけ考えて結論を出すのでなく、大局を見極めて流れに身を任せることも必要なこと

・どうにもならない状態だったら、無理に勝負をせず嵐をやり過ごすこと。また、思い切って勝負を降りる勇気も必要だということ。 


そして最も心にぐっときたのは、知人の言葉でした。彼は、これまでに何度も何度も観た麻雀番組を更にスローモーションで観ては、「なんと美しい手だ!」と恍惚としているという、究極の麻雀ラバーです。

その人曰く、「麻雀で大事なのは、振り込まないこと」と。欲を出して華麗な手で一度は大勝ちしても、その後の小さなうっかりミスで大敗することもある。一局一局は地味な動きでも、トータルにみたときに実は勝っている、というのが実は本当の強さでもある、と。

確かに、その人と一緒に麻雀をしている人も「彼はいつもすごく地味にやってる印象しかないんだけど、最後に合計するといつも勝ってるんだよね」と感心していました。


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最初にこの状態だったのですが、みなさんだったら国士無双を狙いますか…?


もちろん実生活では、振り込むこと=失敗することは、経験値を上げるためにはとても大事です。恐れて何もやらないよりは遥かにましです。でも失敗以前に、いつも焦って結果をすぐに出そうといきなり大きなところを狙いに行って空回りがちな私には、痛いところを突かれる言葉でした。


まだ始まって三日目の今年2018年。一歩一歩踏みしめて地道に進んでいこうと思いますので、みなさま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。



タグ:麻雀 2018
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